競争

「競争しなくていい」と言われて育てられた世代の子どもが大人になり、競争社会に叩き込まれて苦しんでいる。社会から逃避する若者が続出するのはある意味、当然だ。
多くを得ようとすれば「競争」は嫌でもついてまわるが「競う」事に参加できる心はなんとか失ってほしくない。勝つことよりも、自分を超える快感があることを知ってほしい。
                          森 恒二(ホーリーランド*1第7巻作者コメントより)

 何かねー、こと就活に関していろいろ思いあたる処がある文章だったので。
自分の友達に就職活動でぶつかる様々の事に憤って、そんでやる気失くしてる子がいるのね。
まあ、そいつ同様俺も内定は出ておらんのだけど。そいつと俺の悩み方、深刻さが雲泥。俺は割と平気。
だから何と声を掛けたらいいものかと思ってたん。何故俺はこんなにもじりじりしておらんのかと。
でね、これ読んで自分の過去を思い返してみたら、まあ中高のテストとかかなりやる気出してやってた。前より一点でも多く取るとか、達成した成績を維持するとか、純粋にそういうことが楽しくてしゃあなかったんね。何かストイック。
そんで「自分を超える快感」て云うのをかなり早い段階で知ってて、就活でも「前より云いたい事喋れた」とか「本当に思ってることを無理矢理聞かせてやった*2」などと自己満足しているから結構平気。
多分。でまあ、其れに結果が付いて来んのが何とも絶望的なありさまなんだけれども、前述したように俺結構平気。
だから、そういう「自分を超える快感」ていう処に自己満足をする、ちゅうんがぎりぎり肝要な処なんではないかと、俺、思ったわけ。その自己満足のうえに付加価値を生み出すのが、社会的生産活動なり芸術的創作活動、ちゅうわけやね。
此処で自身を省みればあとは結果が付いて来るんを祈るばかりという。結局それしかないんかい。

*1:ヤングアニマル連載。ISBN4-592-13747-7

*2:真心。‘グレートアドベンチャー・ファミリー'