盆に実家に帰ると必ず知らない親戚がいる

 ご無沙汰しています。
 蚊と猛暑が収まってきつつあるので復活いたします。
 尚、苦情はご遠慮ください。


 今日は朝に同じアパートに住む野球部の同級生と会って5分ほど立ち話した。
彼は4回生の8月現在、未だ野球の練習に明け暮れているのだけれど、
「偉いなあ」というようなことを言うと必ず「ずっと野球やってるし、これしかやることないから」みたいなことを言う。しかも最近は肩に痛みがあり*1、痛み止めを打って練習しているという。
 曰く「痛いからやめます、ていうわけにもいかんやん?4年もやってるし、せっかくやから最後までやりたいし。まあ意地みたいなもんやけど」。
 自分は彼をいつもなんだか正視できない(別に仲が悪いわけではないのだけれど)。何かある種の「うしろめたさ」みたいなものを感じてしまう*2
 世間では大学生といえば「遊んでいる」のだそうだ。そして自分はまあ、そのイメージからあまり大きく外れていない大学生活を送ってきた(そして、いる)。そしてそれと同じ時間、彼は野球に打ち込んできたのだ。
 彼は野球に打ち込めば打ち込む分だけ、それに相当する何かをペイしていて、そういうストイックさを持って生活してきている。そういうストイックさ・誠実さを自分はおそらく正視できないんだろうなあ、とかそういうことを思った。
もっと単純な話、自分には意地になるほど何かに取り組んでなくて、それを彼の前で毎度恥じているのかもしれない。
 「体育会系は就職に有利」という都市伝説*3がありますが(あるんだよ)、まあそれはタテシャカイが身についているから、とかぶっちゃけ採用するほうも体育会系出身の場合印象がいいから、とか(結構やっかみが入ってると思う)いろいろあるんだけど、でも自分が採用担当なら面接の言葉よりも、そうやって何かと引き換えに保ってきたストイックさとか誠実さ*4みたいなものは大いに信用できるなあ、とかそういうことを思った。


 …素直に相手がいいやつで、俺は照れてるだけなんちゃうん?

*1:なんか軟骨をやられているらしい

*2:自分の軽い対面恐怖症みたいなもののせいもあるのだろうけれど

*3:真偽の程には大いに疑問があります

*4:陳腐だけど他に表現を思いつけない